裏の裏は、表…に出せない!
実話誌等で暴走する裏系&馬鹿系ライターが、日本最大の歓楽街・歌舞伎町から発信するグダグダな非日常的体験と裏話。そして禁断の取材メモ!
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追悼 写真家・渡辺克巳
渡辺克巳氏、初の写真集…「新宿群盗伝」
こんなに危険な匂いのする写真集はあっただろうか?
そこに写っているのは、歴史の中で役目を終えた新宿の街並み、
歌舞伎町の得体の知れない住人たち…。
渡辺克巳のファインダーに囚われた男たちは、
日本刀、ナイフ、鉈…、持っているものに違いはあれども
全員が心の刃(やいば)を隠し持っているようだった。
オンナたちは屈託のない笑顔。しかし、その悲しさを隠しきれていない…。
いや、渡辺克巳がそれを浮き彫りにして見せたのだ。
平成18年1月29日、新宿の偉大な写真家が死んだ。
私は知って欲しい。こんな写真家がいたということを…。
歌舞伎町の新しい住人たちに、全国の写真ファンに…。
……そして忘れないで欲しい。


平成18年1月29日午前…。編集部で極道作家・出石大氏からの依頼で、「実話マッドマックス」のグラビアチェックをしていた。間違っても雑誌などに出て頂けるはずもない九州の親分が主催したパーティーの潜入グラビア。写っているのは表に出ることのない凄まじい侠客ばかり…。慎重を期すということで担ぎ出されたというワケだった。

私はそれらの写真を見つめながら、ふとデジャブに襲われていた。そういえば、かつて、こんなドキドキした気持ちで写真を眺めたことがあったなぁ…。それは何だったろう? 怖いものや見てはいけないものを見ているような…。見ているだけで、その世界に取り込まれそうな気分。その時、一本の電話がそのデジャブが何だったのかを教えてくれた。

電話は歌舞伎町写真家の董沙貝氏からであった。彼の本職は中国画家である。大学で絵画の講師をしながら、歌舞伎町に魅せられて筆をカメラに換え、街の写真を撮り続けている中国人フォトグラファーである。電話の向こうで彼はかなり慌てていた。

『ナベさんが…!ナベさんが!』 …まさか? 私は膝がガクガクと震えだした。そのまさかであった。…と同時に、私はデジャブの原因を理解した。写真集『新宿群盗伝・渡辺克巳写真集』。それだ!その写真集を初めて見た時のドキドキ感だったのだ。虫の知らせだったのだろうか…? これが、歌舞伎町という名の戦場カメラマン、渡辺克巳氏の死を知った瞬間だった。



……私は氏に届かぬ手紙を書くことにした。


拝啓 渡辺克巳様

長い間、お疲れ様でした。
あなたは毎夜、歌舞伎町に立ち続けました。
その根性には頭が下がる思いでした。
身体を壊し、ガリガリになった足で、歌舞伎町を飛び回る。

あなたの撮る人物は、たしかに歌舞伎町の景色になっていました。
被写体となった人たちの「現在」は勿論のこと、「過去」を思い浮かべさせられる写真の数々…。それだけでなく、
『この人、今はどうしているんだろう?』
「未来」までも思わせてしまう…全てがそういう写真でした。

コマ劇場前の広場にダンボールを敷いて、根気良くシャッターを押させる「何か」を待ち続けていましたね。

憶えていますか? ナベさんをホームレスと間違えた女の娘の話。
『おじいちゃん、帰るところないの?寒いからコレで暖まりなよ…』
缶コーヒーを差し出したのは、ボロボロの鞄に小さなぬいぐるみを沢山ぶら下げた女の娘でしたよね。
帰るところがなくて、男に声をかけて、その日暮らしをしているような女の娘。
『優しい娘だったんだよねぇ…。あの娘、環境や出会う人が良かったならば、イイ奥さんになって、いや、なれるだろうなぁ。…せつないねぇ』
そう言いながら、その娘に貰った冷めた缶コーヒーを、いつまでも手の中で転がし続けていましたよね。

初めてイカ墨スパゲティを食べて、美味いねぇ!と、口の中を真っ黒にして、夢中でアナタは話す。
『街に溶け込んだ、風景になったような…人物を撮りたいんだよ』

ナベさん…、実は、アナタがそうだったんですよ。

…ゆっくりと休んでください。


20060408191030.jpg

渡辺克巳氏の代表作である「新宿1965-97」(新潮社)
表紙は歌舞伎町で知る人ぞ知る若き日の吉村光男親分
私は手持ちの連載を急遽内容変更して渡辺克巳氏の追悼記事とした。
掲載誌は2月25日発売の「劇画マッドマックス」(コアマガジン社)巻末カラーグラビア4ページである。

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雑誌を購入する勇気(?)が出なかった方の為に「追悼記事」を全文掲載いたします。


歌舞伎町の侠・特別編 
追悼…新宿を撮り続けた孤高の写真師・渡辺克巳

写真:渡辺克巳 
協力:仲間たち/新潮社/ワイズ出版
構成・文:神峻


歌舞伎町の偉大な写真家を私たちは忘れない…。



流しの写真家・渡辺克巳


渡辺克巳氏の写真集…こんなに危険な匂いのする写真集はあっただろうか? 写っているのは、消えた新宿の街並み、得体の知れない住人たち…。ファインダーに囚われた男たちは、違いはあれども、全員が心の刃(やいば)を隠し持っているようであった。女たちは屈託のない笑顔。だが、悲しさを隠しきれていない。それらを渡辺克巳が浮き彫りにして見せた。平成18年1月29日、新宿の偉大な写真家が逝った。…私は知って欲しい。こんな写真家がいたということを…。そして、忘れないで欲しい。

渡辺克巳氏は写真を愛した男だった。氏が世に出るきっかけとなるのは、歌舞伎町の流しの写真屋業であった。一ポーズ三枚で二百円。歌舞伎町の住人たちを撮影・現像してキャッシュと引き換え。そんな職業があったのだ。この写真屋稼業でフイルムに焼き付けたのは被写体となる人物の生き様だった。借金を抱えた時期に歌舞伎町で焼き芋の屋台を引いた。笑顔で芋を売りながらも。氏の傍らには愛用のライカがあった。時代はいつしか写真屋を必要としなくなった。街にはプリクラが溢れ、キャバクラ嬢やホストのための写真スタジオが生まれた。氏の被写体は人間から事件や騒動などの街の情景へと変わっていった。それでも氏はシャッターを押し続けた。……これはそんな男の思い出話です。



光男さんと江藤さん

『新宿1965-97』(新潮社)には、氏にとっては思い入れのある歌舞伎町の被写体が写真とエッセイで紹介されている。様々な人物の中に歌舞伎町で今なお健在な人物がいる。ともに街の有名人である。この連載でも取り上げさせていただいた吉村光男氏と江藤カズオ氏である。共に不良少年として歌舞伎町デビュー。吉村氏はハワイで全国を震撼させる事件に遭遇し不当逮捕され、連邦刑務所に十一年間も収監された後に帰国。再び任侠の道を邁進する武闘派親分である。江藤氏は、不良少年から一念発起の末に、時流を捉えて事業家となった。その後、作家に転進。ベストセラーを世に送り出した元祖歌舞伎町作家。ご両人とも快くコメントを下さった。

吉村氏は渡辺氏の死を告げると絶句した。氏の写真を最も愛した侠の一人である。

『あまり知られていないことだけど、俺が表紙になった写真はフランスで権威ある賞を取ったんだぞ。掲載された外国雑誌を嬉しそうに事務所に持ってきてなぁ…。『なんだよ!俺は世界に恥をさらしたのかよ』って二人で大笑いしたよ。だから「新宿」を出版する際に『どうしてもあの写真を表紙に使いたいんだ!光男さん』って電話してきてなぁ。それもアメリカの刑務所にだぞ。俺はナベの声を聞けたことが嬉しくてなぁ。使え!使え!何でも使え!そう涙声で答えたっけ…。俺が出所した時のパーティーにもナベを呼んだんだ。ホテルの豪華な宴会場は光男さんには似合わないよって失礼なことを言って、どうしても夜の新宿の街で撮りたいからって、無理やりタクシーに乗せられて…。その時に酔ったナベは手を滑らしてカメラを落としたんだよ。そん時の悲しそうな顔は忘れないなぁ…。あんな顔は初めて見たよ。俺がチンピラの頃からの付き合いだぜ。ナベの写真は二百円。それが払えなくて、酒を飲ませて誤魔化したりしてた頃だから…。淋しい、淋しいな…。今日はどこか立ち飲みにでも行くか? そこには、あの頃のナベがいそうな気がするよ』

江藤氏には計画があった。その打ち合わせが最後の会話となった。江藤氏の紹介で、私が文章を書き、渡辺氏が写真を提供するという新聞連載の企画が進行していたのである。江藤氏も自らのライフワークたる書籍を執筆中であった。

『昭和四十年の終わり頃だったけなぁ? まだ珍しかった高級カメラを片手に、あの人懐っこそうな笑みを湛え「写真撮らせてくれませんか?」と、誰彼かまわず声を掛けていたよ。ナベと不良少年の俺は同年代だったせいもあり意気投合して、事あるごとに写真を撮らせ、いや、撮らせられて、金二百円を払った。稼いだ金はフィルム代と酒代に消える。酔わないナベちゃんを見ない日はなかったが、不思議とベロンベロンの時の方がいい写真なんだから、恐れ入ったよ。二百円の緊張とか何とか言ってなぁ。写真が不出来だと金を貰えないから真剣勝負さ。どんなに酔っていても、被写体と対峙した途端に、ビシッとプロのカメラマンに還るからなぁ…。『フィルムをハサミで切って撮ると、ロールよりも二、三枚多く撮れちゃうんで、けっこう酒代が浮くんですよ。へへへ…』と、屋台でコップ酒をあおりながら、そんな裏話をしてくれた若き日の姿が忘れられないよ。ナベちゃんは誰にでも優しく温かい。ヤクザ、売春婦、ホステス、オカマ、ホームレスなど、どんな人種であっても、同等な目線で接する。悪口も言わない、争いもしない。だから新宿の多くの人に愛されて、慕われたのさ。ナベちゃんに撮ってもらった写真は、全て私の手もとにある。それらの一枚一枚に俺の青春を封じ込めてくれた。もし、カメラマンとしての彼と遭っていなかったら、俺の青春は遥かに色褪せたものになっていたかもなぁ…。今、俺は新宿裏面四十年史を執筆中なんだけど、彼の写真がなければ成り立たない企画で、二十年前から二人でやろうと語り合ってきたライフワークなんだよ。共に喜ぶはずだったナベがいないのは悲しい。だけど、彼が撮った写真があるかぎり、私の人生から渡辺克巳の名が消えることはないよ』




清平はじめとイケイケヤクザA氏


渡辺氏と同じく歌舞伎町をフィールドにしたフォトジャーナリストに、清平はじめと言う人物がいる。

※…、清平はじめ氏はのちに本名の権徹で活動。歌舞伎町案内人こと李小牧と『歌舞伎町事変』(講談社)を共著。その後、歌舞伎町の4歳児ホームレス少女を追った『歌舞伎町のこころちゃん』(講談社)を発表して話題となる。

『ナベさんは私の今を与えてくれた人物。少しは収入になるだろうからと仕事を紹介されたんです。ナベさんにしてみれば、自分のサブ的要員のつもりだったのでしょう。僕もそのつもりでした。僕は歌舞伎町を毎夜走り続けました。ナベさんの顔は潰せない…それだけ。でも、僕の写真が採用され、ナベさんの写真が採用されないことがあったんです。原因はナベさんが体調を崩して休んでいただけなんです。ところが、ナベさんに言われました。恩を仇で返すのか? 僕はショックでした。僕はナベさんに少しでも追い付こうとやってきた。ナベさんの写真に近づいたと思うことはあっても、それ以上だと思ったことはなかった。僕は降ります。でも、撮り続けます。例え、ナベさんと疎遠になったとしても、あなたが目標なんです…。あなたに出会ってこの道を決めたんです。今まで口に出来なかった思いを全て吐露しました。その瞬間です。ナベさんが号泣したんです。『スマン!僕はみっともない人間だ。情けない。良い写真が全ての世界なのに…ダメな男だ』泣きながらテーブルに頭を擦り付けるんです。あの時のことは忘れられません。二人とも写真が大好だけど、少しだけ僕の方が事件好き。ナベさんは全てが写真だっただけなんです。採用するメディアにとっては、それだけの差だったんです。思いや目標を吐露したことで、僕は成長することが出来ました。しかし、僕以上にナベさんが変わりました。追い付くどころか、ウンと先を走りだしたんです。ほら、それがこの写真集に出ているじゃないですか…』

清平は一冊の写真集を指し示した。渡辺氏の遺作となった『HotDog』(ワイズ出版)である。この写真集、実は私は『毒が無くなった』と酷評を渡辺氏に告げた。氏は『頑張るよ…』と笑った。ところが、ある人物が私の考えを変える意見を述べた。それは歌舞伎町のイケイケヤクザ幹部のA氏であった。現在、破門中であるために名前は明かせないが、渡辺氏の『新宿1965-97』で氏の被写体になった人物でもある。

『そりゃ、お前の目が節穴なんだよ。写真に毒が無くなったんじゃない。写されている人間に毒が無くなったんだ。同じヤクザでも、明日をも分からず必死で生きている時代の人間と、何となくヤクザをやっている時代の人間とのな。先の写真集は水商売やら何やら歌舞伎町でシノいでいる人間が多い。今度の写真集は遊びに来ている人間が多い。この屈託の無い笑顔、こんな写真が他の奴らに撮れるか? だからお前ぇはダメなんだよ。歌舞伎町が長いだけで何を見ているんだかなぁ…。ナベさんは時代の変化をちゃんと捉えてるじゃないか…』

彼が開いた写真集には三人の人間が写っていた。今風のギャルとホームレス。社会的に対極にいる人間が笑っている。衣服には雲泥の差がある。ギャルは最先端ブランド、ホームレスは匂いそうな煤けたボロ服。なのに同じ笑顔。そしてコギャルの写真。コレでもかというくらいに顔を崩して笑っている。『新宿群盗伝』や『新宿』には無かった写真だ。笑顔の中に刃(やいば)や寂しさを漂わせている…それが氏の写真の凄みだと思っていた私は言葉を失った。清平氏の指摘はこういう事だったのだ。




最後の弟子・鈴村健行


本誌に歌舞伎町カメラマンとしてスカウトされた男がいる。鈴村健行である。写真テクは悲惨、センスは最悪。笑い話もある。犯人が逃走した。ライバル誌や新聞等にその事件写真が掲載された。現場にいたはずの彼は一枚の写真も撮影していない。ライバル誌を良く見ると、犯人を確保しているのは鈴村だった。撮影もせずライバル誌に撮影されていたのである…。呆れ返ってしまった。写真以上のピンボケ振りだ。思案の末に一人のカメラマンに彼を預けることにした。それが渡辺氏であった。この男が最後の弟子となる。

『そう聞かされ、実は困りました。コマ劇場前で大乱闘をしたことがあって、それをナベさんに撮影された。『何、撮ってんだ!フイルムを寄越せ』と詰め寄って…。周りの歌舞伎町仲間から、あの人は有名な写真家だ…と聞いて内緒で写真集を買ったんです。歌舞伎町の住人だからこそ分かるスゴイ人たちの写真が…。そんなことがあったのに『写真を教えて下さい』なんて言えないでしょ。ところが『何でも聞いてよ。カメラは何を使ってんの?』って優しくて…』

気のイイ兄ちゃん鈴村は、そう言うと顔を伏せた。後日、渡辺氏に『鈴村、どうですか?』と聞いた答えが印象深かった。

『若いっていいねぇ…。逆に教えられるんですよ。ヤクザは下から撮るって言うんですよ。ほら、ゴジラを撮る視点は下からでしょう。僕はポートレート専門だったから、目線の高さが決まっていてねぇ…。なるほど!迫力なんです。僕は腕が無いから、機動力でカバーって、自転車で歌舞伎町を走り回ってるでしょう…。私も買っちゃいましたよ…自転車。ふふふ』 渡辺氏はとても嬉しそうな顔をした。ナベさんの自転車はいつも靖国通りに停められていた。主を失って自転車はどうしたろうか?

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鈴村健行の歌舞伎町写真(毎日新聞社・サンデー毎日グラビアより)



写真家たち、仲間たち 

多くの皆様からコメントを頂いた。写真家タカザワケンジ氏は、コミュニティサイト・mixiで「流しの写真家・渡辺克巳」というコミュの管理人を務める写真家でもある。

※…、タカザワケンジ氏は、その後、「日本カメラ」誌において、渡辺克巳の写真人生を追った1年に渡るシリーズ連載を書き上げた。

『横っ面を張り飛ばされるような衝撃を受けました。写真集のポートレート写真は全てモノクロ。どれも至極明快。真正面からストロボを焚いて撮る。あるいはサイド光を使って劇的に見せる。そのスタイルは、65年も97年も変わらない。しかし撮られる側の意識が違っている。60年代は写真を撮られることはハレの行為だったが、90年代はケの行為になった。被写体の表情がゆるい。生きている人間の姿勢そのものがゆるくなったのかもしれないが。しかし、氏の街と人に対するのめり込み方は変わらない。ハレの時代の被写体はポーズを取る。精一杯、自分をかっこよく、美しく見せようとする。その自意識の有り様を含めて、新宿という盛り場の雰囲気が濃厚に感じられる。しかし、時代が下ると、素人と玄人の区別は曖昧になり、写される瞬間に日常も非日常もなくなる。渡辺氏だけが変わらない。あたかも、群集のなかでスローシャッターを切ったように、その流れの真ん中で、一人突っ立って人の流れにカメラを向けていたのが渡辺氏ではなかったか? 新宿という街が一つの「眼」を失ったんだと思います…』

歌舞伎町のイケイケヤクザの反論を、タカザワ氏に分かりやすく解説していただいたような気がした。

同じく写真家・小倉弘道氏は、

『耳を疑いました。新宿界隈で活動するカメラマン連中の全てにとって、大きな影響を与えたと言っても過言でない偉大な写真家でした。 僕は氏の写真で新宿を知りました。残念、残念です。 ショックを受けていて、言葉が見つからないです。申し訳ない』そう短く語った。

歌舞伎町で人物写真を撮り続けている若き写真家・井口亮紘氏は、

『撮影をお願いしたヤクザ屋さんが、お前にこんなのが取れるか?と、大事そうに財布から取り出したのがナベさんの写真でした。数日前にその人物に出会って言われました。ナベさんが死んだから、お前に頼むわぁ…。僕はそれを知って返事も出来ずに呆然と立っているだけでした』

写真家・小川直樹氏は遠く四国徳島からコメントを寄せていただいた。

『私が朝日新聞に出入りさせてもらっていた頃、渡辺さんと出会いました。目の前にドキュメント写真の大家が…。緊張しましたよ。どんな大物タレントや大物政治家を撮るときより緊張しました。でもその緊張は一瞬で吹き飛んだんです。氏は何処にでもいる、おもろいおっちゃんだったんです。私は思い切って疑問を…。『あんな恐い人、どうやって笑わせるんですか?』答えは『カメラなんか出したらダメ。辛抱。とにかく聞くに徹する』実際に全くシャッターを押さない時も多いと言う。相手の中に自分が自然に存在する。それまで写真は撮らない。とても根気と時間がかかる作業ですよ。でも、その写真の持つ力は途轍ないものとなっていくんです。当時の私はマシンガンのようにシャッターを切るスタイルが主流で、たった一枚の写真のために何十回、何百回とシャッターを切って…。だからこそ、ワンチャンスに賭けるカメラマンの執念が渡辺さんから感じられたんです。写真を撮りたい一心で、無神経にカメラを向ける自分が恥ずかしかった。もっと心を込めて撮ることにしよう…。写真は耳で取る。これが渡辺氏の大切な教えです』

最後に渡辺克巳氏を世に送り出した人物の思い出話を…。氏の写真集『新宿1965-97』などの出版プロデューサー・永寿日郎氏である。

『私との関係ですか?ゴールデン街の飲み仲間ですよ。ずっといい付き合いをしてきました。ただ…忘れもしない81年3月26日の週刊新潮のグラビア。表参道での女性ストリーキングをナベさんが撮影したんです。それは出版史上初のモロ出しヘアヌードでした。ヘアヌードの元祖は実は渡辺克巳なんです。雑誌は馬鹿売れし、口の悪いマスコミ関係者がヤラセだと大騒ぎしましてねぇ…。付き合いのあった編集部までもが敬遠して、ナベさんは落ち込んでました。疑心暗鬼に陥ったナベさんと私が疎遠になった頃でした。色々な思い出がありますよ。写真集にも登場している詩人・寺山修司氏が写真に感激してナベさんに詩を送ったりね…。アメリカの出版プロデューサーがナベさんの写真に感銘を受け、自国で写真展と写真集(※)を発売するという話も進んでいるそうです。…残念ですよ」


※ NY アンドリュー・ロスギャラリーで開催。
※ 新作『ギャング・オブ・カブキチョー』

【紹介記事】
http://shinshun.blog47.fc2.com/blog-entry-63.html


ありがとう…ナベさん


コマ劇前広場にダンボールを広げて休憩するナベさんをホームレスと間違えた女の娘の話がある。『おじいちゃん、帰るところないの?寒いからコレで暖まりなよ…』缶コーヒーを差し出したのは、ボロボロの鞄に小さなぬいぐるみを沢山ぶら下げた女の娘。帰るところがなく、男に声をかけて、その日暮らしをしているような女の娘。『優しい娘だったんだよねぇ。環境や出会う人が良かったならば、イイ奥さんになって、いや、なれるだろうなぁ。…せつないねぇ』 そう言いながら、その娘に貰った冷めた缶コーヒーを、いつまでも手の中で転がし続けていたナベさん…。遅い結婚をしたナベさんは子供の話を、目を細めて話してくれた。そういう優しい男だった。こんな話を聞いた。渡辺氏のご子息も写真に興味を示しており、病床で眠りに付いている渡辺氏を氏のライカで撮影した。そのシャッター音を聞いた渡辺氏は眠りながらも微笑んだそうである……。

実は渡辺氏の写真集の中で、たった一枚だけ、氏の作品ではない写真(※)がある。それがコラム表紙に使用した写真である。カメラをぶら下げての焼き芋屋時代である。焼き芋を買った酔客が悪戯で氏のカメラのシャッターを押したのであろうか? 氏はとてもシャイな表情で照れ笑いをしている。カメラマンが被写体になることは少ない。この気まぐれな悪戯写真が、氏の人柄を最も滲ませる写真となった。私のデジカメにもたった一枚だけナベさんを撮った写真が残されていた。それを最後に載せたい。前述のようにコマ劇前でダンボールを敷き、休憩しているナベさんを撮った写真だ。表紙の写真とは別人のように思えることだろう。この写真は何度身体を壊しても渡辺克巳という男が歌舞伎町に立ち続けた証。歌舞伎町という戦場で、写真に殉じた孤高のカメラマンである証でもある。氏は『歌舞伎町の一部や景色になったような人物を撮りたいんだよね…』常々そう口にした。実はこの連載もその言葉から生まれたと言っても過言ではない。多くのアドバイスを頂いた。歌舞伎町の一部や景色になったような人物…。ナベさん、それはアナタだったんですよ……。

私たちは忘れません。ありがとう…ナベさん。


※ のちにこの写真は吉村光男氏が撮影したことが判明。当時の渡辺氏は写真館を閉じて焼き芋屋、吉村親分は謹慎中で生活のためにトラックの運転手をしていた時期。互いの境遇を重ね合わるように、夜の街で遭遇すると、談笑し、酒を飲み交わす仲だったと吉村氏は言う。氏の仕事が終わるのを待っていた際にイタヅラした写真だそうだ。 



【プロフィール(文中登場順)】


渡辺克巳
1941年福島県盛岡生まれ。東京・新宿の街や人々を撮り続けた写真家。73年にカメラ毎日アルバム賞、98年に日本写真協会賞(年度賞)を受賞。写真集及び書籍「新宿群盗伝66-73」(薔薇画報社)「新宿群盗伝伝」「ディスコロジー」(晩馨社)「新宿1965-97」(新潮社)「HotDog・新宿1999-2000」(ワイズ出版)NY個展と海外発売の計画も進行中だったが、本年1月29日に肺炎のために急逝。


吉村光男
極東会五代目松山直参。歌舞伎町の武侠として住人には有名な親分。渡辺氏とは若き修行時代から親交が深く、写真集「新宿1965-97」の表紙となり、その中で「光男さん」と題したコラムを渡辺氏は書いている。吉村氏のアメリカでの強烈獄中体験が「海を渡った任侠者」(山平重樹)として連載中(実話時報・竹書房)


江藤カズオ
作家。不良少年の頃より歌舞伎町の時代を見続け、自伝的作品「ブレイクタウン物語」を発表、映画化もされる。著書「からだにいい水、悪い水」(KKベストセラーズ)は驚異的ベストセラーとなる。


清平はじめ
フォトジャーナリスト。歌舞伎町を主な舞台に、写真誌、新聞、実話誌などに、数多くのスクープ写真や作品を発表している。夜の街で渡辺氏と行動を共にしたカメラマン。海外の書籍・新聞などメディアにも作品を提供している。


イケイケヤクザA氏
現在無所属の歌舞伎町の武闘派ヤクザ。渡辺氏が流しの写真家として活動している頃からの歌舞伎町住人。氏の「新宿1965-97」に掲載された若気の至りを嘆く日々。ワケあって匿名。


鈴村健行
歌舞伎町カメラマン。小社「実話マッドマックス」にて作品を発表。元ギャングだった頃の人脈を生かして歌舞伎町を駆け回る日々。猪突猛進タイプの怖い物知らず。つい先日もヤクザ事務所に軟禁される。


タカザワ・ケンジ
写真家・ライター・エディター。「季刊クラシックカメラ」(双葉社)で写真家のインタビューなどを手がけ、日本カメラ社などの写真関連書籍にて企画・書籍執筆に活躍している。著書『カウンセラーになろう!』(オーエス出版)他、書籍執筆は多数。


小倉弘道
写真家。74年生まれ。日本大学理工学部卒業後、ゲームライター、編集者などを経てフリーカメラマンに。専門はアダルトを含む人物撮影全般。


井口亮紘
写真家。実話誌・写真誌などに「人間」にこだわった作品を発表している。小社刊「任侠ダイナマイト」に掲載されたヤクザや娼婦などの「顔」の写真は渡辺氏に絶賛された。


小川直樹
写真家。61年、徳島県鳴門市生まれ。広告代理店を経て、個人事務所・リオグランデを設立。風景、ドキュメンタリーを中心に活動するカメラマン。写真集「WHITE SANDS」(講談社)「Take the A train」(新風舎)など。



永寿日郎
出版プロデューサー、作家。最も過激で「反芸術」「反逆的」であった「劇団・ゼロ次元」を経て、新宿ゴールデン街「発狂の夜」を経営後、出版界に転じ、氏の写真集をプロデュース。著書「液体殺人・連続毒ドリンク事件」(太田出版)。「江戸時代の放火」を近く刊行。



(ご協力、コメントを頂きました皆様に感謝いたします。…渡辺克巳の友人、神峻)



追記:
氏がファインダーに収めた人物、歌舞伎町のチャップリン。
…元祖案内人として、歌舞伎町の景色の一部となった人物であったが、彼も本年一月に帰らぬ人となった。


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(C) SHUNSHUN / 劇画マッドマックスVOL17


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追記 : 渡辺克巳氏の功績が、テレビ朝日系「報道ステーション」で特集されることになりました。又、三億円事件を題材とした映画『初恋』でも、氏の写真が実に効果的に使用されます。

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故・渡辺克巳を偲ぶ会…氏の人柄が偲ばれる温かい会でした。記事中の皆さんも参加し、最初に氏の写真を作品で使用した「江藤サン」こと作家・江藤カズオ氏もスピーチ、写真集の表紙となった「光男さん」こと吉村光男氏は現役のヤクザ親分でありながら、その登場は割れんばかりの大拍手で迎えられました。

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テレビ朝日系「報道ステーション」で渡辺克巳氏が紹介されました。
有名物故者の功績を紹介する10分間の特集「さよなら」
その中の3分間に凝縮された渡辺克巳の人生。
そのたったの3分間が、多くの視聴者の心に刻まれた3分間となりました。
視聴率も通常より高い19.0%(平均)
番組中で紹介された、息子に送った写真集に残された言葉
『世の中に悪い人はいません、悲しい人がいるだけです…』
実に多くの反響があったそうだ。
そんな3分間を作り上げる為に、情熱的なストーカーとなり、歌舞伎町の暗部を垣間見ることとなった同番組Dの古館プロジェクト・村川氏…。お疲れ様でした。……ありがとう。
でも、迷惑ですからストーカー行為は止めてください!

報道ステーション特集「さよなら」

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監修を担当した日本テレビ「真実の日記・THE歌舞伎町」の第二週のラストに渡辺氏の写真と共に功績が紹介されました。私の脅迫めいたワガママを快く承諾してくださった日本テレビの芦澤氏に感謝いたします。

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渡辺克己ニューヨーク個展開催

【ブログ内記事】
http://shinshun.blog47.fc2.com/blog-entry-63.html

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新宿東急文化会館・・・ロードショー劇場ミラノ座、新宿東急、アイススケート場(東京スケートリンク)が開業したのが昭和31年12月。 今年で生誕50年です。その記念行事として渡辺氏のミニ個展を開催。

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11月30日より・・・新宿TOKYU MILANO 1F・ミラノ1のロビーにて

こちらでも紹介されております。

【裏新宿】
http://news.urashinjuku.com/article/1875190.html

【歌舞伎町るねっさんす】
http://blog.so-net.ne.jp/kabuki-cho/2006-11-30


MIXIに『流しの写真家・渡辺克巳』コミュあり。
ここでも裏話を晒しております。

http://mixi.jp/view_community.pl?id=389707

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ストリートフォトグラファーとして、時には渡辺氏と行動を共にした写真家・星玄人氏の写真集『街の火』が発売されました。
…これですよ!これ! 星クン、やったね!凄いよ!

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【星玄人・街の火】
http://www.galeriaq.com/pages/bookcnt/machinohi.html



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ブログ読者のA様より、貴重な情報を頂きました。
告知いたします。そして、感謝いたします。

□渡辺克巳 1965-2005写真展
2008年2月9日~4月20日

60~70年代の新宿を撮った、流しの写真屋、
渡辺克巳の日本で初めての回顧展です。
入れ墨の男、優しい表情のゲイ、得意顔の夜の女性たち、
未公開写真1000点を一挙公開。

お問い合わせ
ワタリウム美術館
東京都渋谷区神宮前3-7-6
Tel:03-3402-3001
http://www.watarium.co.jp/exhibition/under.html

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コメント
この記事へのコメント
テレクラのウラ話
神峻さん、テレクラ秘話、面白かったですよ。お礼にもう一つウラ話を…。今、話題のテレクラ「リンリンハウス」の五階に、オレの事務所があったの知ってます?元ヤクザ出身者など、人相の悪い連中がゴロゴロしてました。オレと友人がこのビルの五階に占有掛けたんです。まっ、あまりカネにはならなかったですけど…(笑)。
2006/03/05(日) 03:19:59 | URL | 影野臣直 #-[ 編集]
やれやれ…。
このコメントくれた人物が、歌舞伎町、ボッタクリの帝王・影野臣直氏です。
……やれやれ、内緒にしていたのに。これで悪口や彼の裏話が書けなくなった(笑)
しかし、よくぞ、たどり着いたものだ。脱帽。
2006/03/05(日) 05:01:22 | URL | SHUNSHUN #-[ 編集]
v-11色付きの文字kl
2006/03/13(月) 21:58:20 | URL | #-[ 編集]
渡辺克己さんを検索していて発見しました。ありがとうございます。ほかも面白いのでジックリと拝見しました。ご活躍をお祈りしております。
2007/07/10(火) 04:18:39 | URL | 峠 #GxAO5jdM[ 編集]
*^-^*
はじめまして!!
お勧めウェブサイト:
http://www.bbbcc.net/?hui
ご覧ください。
2007/08/13(月) 14:13:10 | URL | 百合子 #G91RSZjw[ 編集]
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2007/12/02(日) 23:33:56 | URL | みんな の プロフィール
#-[ 編集]
渡辺克己さんの写真展でお見かけしました。お話に感動しました。
2008/02/13(水) 04:17:15 | URL | ルミ #-[ 編集]
ルミさんへ
ありがとうございます。
2008/02/29(金) 10:16:53 | URL | 神峻 #-[ 編集]
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2006/02/27(月) 15:16:55) | アルカリブログ
 渡辺克巳という写真家の存在が気になってならない。 写真家の渡辺克巳さん死去というエントリーで取り上げてから、自分のなかで、思っていた以上に、渡辺克巳という写真家が気になる存在だったことがわかった。 時すでに遅し。写真家のインタビューが生業の一部....
2006/04/18(火) 17:33:19) | scannersブログ
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