裏の裏は、表…に出せない!
実話誌等で暴走する裏系&馬鹿系ライターが、日本最大の歓楽街・歌舞伎町から発信するグダグダな非日常的体験と裏話。そして禁断の取材メモ!
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歌舞伎町ビル火災事件の闇
黒煙が立ち込めた歌舞伎町の雑居ビル

東京・歌舞伎町で五年間も放置されていたビルが解体された。
ネオン街では次々と店が開店し、新たなビルに建ち変わる。
そんな街の移り変わりのなかで、歌舞伎町の住人や訪れる客たちにとって、そのビルは特別な存在であった。

あの忌まわしき歌舞伎町ビル火災事件の明星56ビルである。

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新宿駅から歌舞伎町の中心である新宿コマ劇場へ抜ける歌舞伎町一番街にそのビルはあった。
有名な歌舞伎町看板のあるメインストリートでもある。
事件が起きたのは01年9月1日、金曜日から土曜日にかけて歌舞伎町が最も賑わう深夜1時であった。
最初の119番通報はビル4階にあったキャバクラ「スーパールーズ」の従業員であった女性からである。
『歌舞伎町なんですけど、火事みたいで煙が凄いんですよ、歌舞伎町一番街のスーパールーズです。早くきてください、出られない、助けて!』
その2分後には第二の通報が同店からされている。
やはり女性従業員である。
『火事です、今現場いっぱい、4階、もう避難できないんで、早く助けてください。10人ぐらい。お願い!』
その後、続けざまに同様の2本の緊急通報が入電した。

明星56ビルはまさに歌舞伎町を凝縮したようなビルであった。
一階は風俗無料案内所、二階はナースイメクラ「セクハラクリニック」、三階はのちに違法ギャンブル店と判明した麻雀ゲーム「一休」、地下にはカジノ「クイン」とニュークラブ「レイン」が入居していた。
何度も何度も悲痛な声で通報があった「スーパールーズ」は同ビルの四階、当時歌舞伎町で人気を博した“抱きキャバ”と呼ばれる店であった。

長く伸ばされたハシゴ消防車のゴンドラで、黒煙に晒されて煤けたセーラー服とルーズソックスの女性たちが、意識不明の状態でレスキュー隊員に抱きかかえられるように運ばれるニュース映像が今でも生々しく記憶によみがえる。

出火元は三階の麻雀ゲーム店「一休」。
エレベーター付近から出火して四階の「スーパールーズ」に延焼拡大した。
黒煙で四階はパニック状態に陥っていたのが消防庁への通報で分かる。

実は、この事件の最初の通報は0時59分の『ビルから人が落ちた』という通報であった。
火災から逃れるために飛び降りた麻雀店男性従業員3名が、人通りの激しい歌舞伎町一番街に降ってきたのである。
それを目撃した人間からの救急車要請が最初の通報であった。
その後、一連の火災通報が続くが、熱や煙を感知して火災発生を知らせる自動火災報知設備は作動していなかった。
これは以前に消防立ち入り検査でも指摘されていたが、まったく改善されていなかったのである。

『もし、警報ベルが正常に作動したとしても、歌舞伎町では酔っ払った客のイタズラっていう場合が殆んど。またかぁという程度の認識で、誰も席を立たなかったでしょうね。だから炎を目撃した麻雀店の従業員が驚いて慌てて飛び降りた。近くにいた私たちもボヤ程度にしか考えてなかったよ。消防車が来る前に消火器で鎮火するのではないか? 立ち入り禁止エリアが拡大されてゆき、あれよあれよと言う間に大惨事になって……』
火災事故の一部始終を目撃していた客引きはこう言う。

この火災事故では消防車両101台が投入され、361名の消防隊員および団員の消火救助活動が行われた。
以下は彼らの通信記録からの抜粋である。

『四階に救助中の人が14名いる模様です。現在救助活動中です。けが人が28人でうち23名は重体です。現在、火は消えています』(3時5分)
『34人が救助され、うち1人死亡30人が心肺停止状態』(3時40分)
『44名が消防隊により救助を完了した模様』
救助の終了が報告されたのは4時。

しかし、『救助者47名のうち11人は死亡。残り36人のうち33人は重体』(5時)
『救助者47名のうち21人が死亡。残り26人のうち23人は重体』(5時20分)
そして7時には『44名が死亡』と報告された。
そのいずれもが一酸化炭素と有毒ガスの吸引が死因となった。
出火時に救助が必要であった出火元の三階にいたのは19名、延焼した四階には28名、合計47名。
消防隊が駆けつけた際の要救助者44名は全員死亡という痛ましき火災事故となった。
助かったのは『ビルから人が落ちた』…火災発生時に飛び降りて脱出した3名だけであった。

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解決を遅らせたのは歌舞伎町の闇

この事故にはいくつかの疑問と謎が当初から指摘されていた。
出火場所にある鉄製ボックス内のガスメーターはガス管から外れて落下していた。
2本のガス管からはガスが漏出していたとみられているが、ガス管とメーターを繋ぐネジが緩んだ痕跡はなかった。
メーターには下から千度を超える高熱を受けた形跡がみられ、のちに人為的な衝撃が与えられていたことが認められた。

消防庁は現場検証や燃焼実験を重ね、短時間で急激に温度が上昇した原因は、放火による可能性が否定できないとした。
いくつもの消防法違反も指摘された。
放火でなくとも人災であることは明白であった。
殺人といっても過言ではない。


この事件の解決を遅らせているのは歌舞伎町という街の闇である。
事件の背景を思わせるかのような報告も捜査本部に寄せられた。
その情報の中にはビル所有会社の胡散臭さがある。
立ち退きや賃借料を巡ってテナントとのトラブル。
その一部は訴訟にもなっていた。
ビルの賃料は相場に比べて割高だったと証言する人間もいる。
所有会社は競売物件でこのビルを所有した。
占有屋がいるような複雑な権利関係の不動産だったのである。
ビル所有会社はそうした物件ばかりを扱っていた。

歌舞伎町の裏不動産をシノギにするA氏(52)はこう話す。
『何もあのビルだけではない。歌舞伎町全体がそうであると言っても過言ではない。権利関係が複雑で又貸しや営業権譲渡などが何重にもされているケースは多い。違法風俗店や賭博店などの場合には責任の所在をたどり着けなくする意味もある。本来だったら高額な保証金を積まないと借りることが出来ないテナントを、保証金を下げて家賃を割高にし、営業しながらペイしてゆけるように中間の賃借人…つまり裏不動産が賃借条件を変えるんだ。短期間に稼げる法律スレスレの商売が出来る歌舞伎町に相応しい条件にね…。ビルオーナーのほとんどは家賃収入目当てに知らん顔。それ目当ての会社だったってことさ』

他にも、違法賭博であった麻雀店の大金をつぎ込んだ客とのトラブルやキャバクラなどの色恋沙汰のトラブルまで、いくつもの証言や報告がされた。


注目すべき最大の謎は45人目の被害者がいたのではないか?という目撃証言である。
火災現場から大久保方面に200メートルほど離れた場所、血だらけの男が歩いていたという証言である。
火災発生時刻から5分後のことであった。
飲食店の呼び込みが目撃したこの男は、全身血まみれでふくろはぎから大量の血を流していた。
救急車を呼ぼうかとその呼び込みが声を掛けた。
男はそれを断り、片足を引きずりながら消えていった。
その頭髪は爆風を受けたように逆立っていた。
この時、ほんの数百メートル離れた場所で大惨事が起きていることなど、その呼び込みの男性は知る由もなかった。
捜査本部はこの証言を元に男の足取りを追った。血痕と足跡が目撃場所の近くの駐車場で発見された。
その駐車場は歌舞伎町の最深部にあった。
歌舞伎町に詳しい人物? 
なぜならば駐車場は遊びに来る一般の人間が利用するような場所ではなかった。
付近の病院などにもこの男は現われていない。
そのケガが火災事故に関連しているのなら、何らかの関係があるのではないか? 
捜査当局は色めきたったが、現在でもこの不審な男は見つかっていない。


捜査本部はビル所有会社のオーナー・関係者などを逮捕し解散した。
しかし、2005年の2月に再編成されている。
実はこの時に放火犯の容疑者らしき男を、あと一歩まで追い詰めていたという証言がある。
歌舞伎町の風俗店に勤務していた朝鮮族の中国籍の男である。
中国東北地方(旧満洲=遼寧、吉林、黒竜江の3省)出身者、もしくは日本に帰国した中国残留孤児の二世~三世らしき人物だ。
中国のこの地域は貧しいが、歴史上、日本と関わりが深く、高校でも日本語を教えており、日本社会にも溶け込みやすい。
彼は血だらけで闇に消えていった男だったのであろうか?


そうした中国朝鮮族が組織するのは東北幇である。
東北幇は火災事件の一年後の2002年9月、新宿歌舞伎町風林会館1階のグリル「パリジェンヌ」でが日本のヤクザ2名を殺傷。
銃撃犯は黒龍江省出身。事件後、中国に逃亡した。
日本のヤクザは報復を開始した。
関連があるとされる直後の歌舞伎町の中国人クラブでの連続異臭事件。翌月には新宿区上落合で刺殺された東北幇メンバーの死体が転がった…。

事件直後に寄せられた情報の中には、火災現場の近くのファーストフード店で『麻雀ゲームに負けたので腹いせに火を付けてやった』と話していた男の情報、出火の30分ほど前に3階の麻雀店のドアを蹴っていた男がいたという情報ももたらされた。

また、事故当日の7時40分頃に共同通信横浜支局に一本の電話が入った。片言の日本語で『日本人、思い知ったか』と男は二回繰り返し、『新宿、思い知ったか』と言って電話を切った。


この火災事故を大きな教訓として、のちに消防法も風俗営業法も改正された。
歌舞伎町のテナントビルでは消防庁の厳しい査察と指導が行われ、風俗社交店の管理者には指導がなされ公安委員会発行の身分証明書の携帯が義務付けられた。
違法店の無許可営業だけでなく、ビルの又貸しなどの権利確認、ビルオーナーには無許可店や違法業種への貸し出しには罰金が科せられることとなった。

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毎年、火災事故があった夜、
ビルの前には亡くなった犠牲者の遺族、友人、関係者たちが集まる。
慰霊のための献花台が設けられ、
犠牲者と同じ数である44個のロウソクが灯される。
道行く人々も手を合わせて通り過ぎる。

何も解決していないと言っても過言ではない歌舞伎町ビル火災事件。
時の流れとともに事件は次第に風化していった。
我々の記憶に留めていたのは事件後もそのままの状態で置かれたビルであった。
そのビルも取り壊され、今年の夏は祈るべき墓標すらない。

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娘が止めるのも聞かずに、上京して、
消息が長い間、取れず、
連絡を貰ったら、その死の知らせだった…。
そう話してくれた母親がいました。

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その母親はか細い身体で、毎年事故の日にはビルの前に立っています。
慰霊の日のたびに、会釈を交わします。


二度と繰り返すことのないように…。


SPA! 8/8号「報道されない未解決事件の“その後”」
…を取材ノートに基づき加筆。
(C) SHINSHUN / SPA! 未解決事件特別調査班


その時、私はどうしていたのか? 10年後の回顧

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