裏の裏は、表…に出せない!
実話誌等で暴走する裏系&馬鹿系ライターが、日本最大の歓楽街・歌舞伎町から発信するグダグダな非日常的体験と裏話。そして禁断の取材メモ!
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知られざる韓国・組織暴力(ヤクザ)事情とその歴史!
4月6日、JR山手線・西日暮里駅構内にて韓国の武装スリ団が警察の職務質問を振り切って逃走。催涙スプレーを噴射して駅構内がパニックになった。騒動を起こした4人組のスリ団のうち、やっとのことで1名を確保。その男は刃渡り20センチの刺身包丁を隠し持っていた。

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事件で押収された刺身包丁。
手製の鞘で安全ピンを使い袖の内側に隠されていた。


この事件に私は複雑な思いを抱いている。…というのも、ほんの数週間前に韓国犯罪組織のレポートを劇画化、その中で韓国の武装スリ団や組織暴力(暴力団)の実態と歴史を暴露したばかりだったからである。

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しかも刺身包丁は劇画の中でも印象的なエピソードとして語られている。今回はその取材ノートの一部を公開する。取材源は言えないが、劇画が日本のヤクザに出向している韓国ヤクザが実態を語るというスタイルをとられていることから想像して欲しい。


2005年、愛地球博の開催を受け、海外からの来訪者のために、出入国及び難民認定法第六条の例外を認め、近隣諸国観光客のビザなし渡航の枠を拡大した。…その結果、襲来したのが海外の犯罪者集団である。とりわけ日本人の防犯意識の低さに目をつけた韓国スリ集団の暗躍は凄まじかった。同年、都内で逮捕されたスリ事犯の44%が韓国人による集団スリ事件であった。スリ集団のリーダーは「社長」(サジャン)と呼ばれている。彼らは極めて組織化された犯罪者集団である。本国韓国には「野党」(ヤダン)いう大元締がいるとされているが、それは組織なのか人物なのか、秘密のベールに包まれている。彼らは90年代に韓国でクレジットカードの普及に伴った現金を持ち歩かないキャッシュレス時代の洗礼を受けた。東南アジア組織による偽造カードの被害総額は米国の534万ドルに続き、韓国が508万ドルと世界第2位だという数字からもその普及が窺える。くわえて大統領令により取締強化がなされ、一般市民の防犯意識も高まっていき衰退していた。盗難カードの偽造システムを確立したとされるマレーシアの犯罪組織を仲介する中国の三合会などの偽造カード詐欺団が韓国を草刈場にしたことも取り締まり強化に拍車を掛けた。彼らが活路を見出したのが日本。ぬるま湯に漬かり切ったように平和ボケした国である。

この武装スリ団は韓国の組織暴力(やくざ)とは一切、関係がないとされる。韓国のヤクザ組織のどこかがやらせてたり、管理しているのではない。韓国では「ヤクザと乞食とスリは違う」という言葉がある。簡単に言えば絶対不可侵の住み分けである。日本で言われるヤクザを揶揄する言葉「乞食以下、泥棒以上」(おそらく社会的な迷惑度合いであろうか。乞食より迷惑な存在だが泥棒よりは仁義がある…ということか?)とは意味が違う。

韓国の組織された犯罪集団は大きく分けて三つ。組織暴力と呼ばれる韓国ヤクザ組織、
前述のスリなどの窃盗組織。そして乞食と呼ばれる組織。乞食と言っても日本のホームレスとは全く異なる。街頭での物乞いや物売り。詐欺商売をしたり、子供を使ってシノギを懸けたりしている。どれも組織化され、例えば乞食のボスは英国王室にも招かれてドラマにもなった人物でもある。

韓国ヤクザは日本の歴史とヤクザ組織が大きく関わっている。

韓国ヤクザは「カンペ」と呼ばれる。「カン」はギャングが訛ったもので「ペ」は群れるという意味である。日本の「~組」「~会」のあたる言葉が「派」である。それまでは拳を使う無頼集団を表す「ワルチャ」と呼ばれていた。「カンペ」の歴史は1910年の日韓併合まで遡る。植民地化と共に資本主義が日本から持ち込まれたことが原因であった。その資本主義の枠から落ちこぼれた貧困者や被差別者たちが農村部や労働者層から生まれた。彼らや「暇良」と呼ばれる財産相続権を持たないアブレ者の第二子以下は次第に都市部に進出してゆき裏稼業に手を染めていった。

日本統治下の30~40年代、京城(ソウル)最大の繁華街・明洞(ミョンドン)に、林組という日本のヤクザ組織が進出していた。明治から昭和にかけての右翼の源流と言われる国家主義者の大物・頭山満(※)の擁護を受けた在韓ヤクザ組織である。林組は半島における日本の政策の暗部を受け持っており、同時に大陸浪人と呼ばれる半島や満州に進出する者達の中継基地という側面も持っていた。林は日本名を名乗っていたが、実はソン・ヨンビンという在日韓国人であった。

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林組長(ソン・ヨンビン)


※ 頭山満(とうやま みつる): 1855年、福岡県出身。大アジア主義の立場で活動した国家主義者。自由民権運動に加わり国会開設に尽力。1881年、右翼の源流とされる玄洋社を設立。大陸浪人をも支配する右翼の巨頭となる。以来、政治の裏面に深く関与した。また、金玉均、孫文、ボースら日本に亡命した革命活動家の援助を行ない、朝鮮独立運動にも積極的に関与した。


韓国に進出した日本ヤクザは裏の統治を任され、韓国人が徒党を組み裏社会に勢力を持つのを極端に嫌ったが、ある伝説の人物が闇社会に誕生する。

金斗漢(キムトハン)である。金は若いはぐれ者たちをまとめ上げ、ヤクザ予備軍のボスとして明洞に君臨した。それは韓国ヤクザ史上初の韓国人ヤクザ組織となってゆく。そうしたはぐれ者だけではなく、抑圧された民衆の精神的柱となっていた金は鐘路のボスとなる、明洞を牛耳る林組と次第に対立していった。林組に襲撃された仲間の治療費を作る為に、金は頭山満の会社「東洋貿易」を襲った。この事が、ついに林組とぶつかる原因となった。

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金斗漢(キムトハン)

金の侠気は父親譲りであった。父親は金佐鎮(キム・ジャジン)将軍。1920年代、満州で抗日独立運動を組織し、青山里の戦いなどで日本軍に勝利した。しかし、1930年、金日成の裏切りに遭って射殺された反日・反共の英雄である。金斗漢は「将軍の息子」と異名をとる韓国ヤクザ史上最大のカリスマである。


林と金は韓国流儀の決着の付け方をした。武器は持たずに素手での一騎打ち。その戦いに金斗漢は勝利し、林組長にその侠気を認められた。林の舎弟格になった金は京城(ソウル)の裏の顔となった。

金斗漢はこうして日帝統治下で初の韓国人ヤクザ組織の親分となり義侠的活動を行った。朝鮮独立後、日本に撤退した林組から利権の全てを譲り受けた金斗漢は最大勢力の大親分になってゆく。独立直後の韓国の警察力は弱く、治安維持のために金斗漢の力を借りなければならなかった。

このような理由で当時の警察庁長と親しい関係にあった金斗漢は主に政治集会の警備を任されるようになり、のちにヤクザを引退して国会議員となり、右翼政治家として活動、反共青年団を組織した。

金斗漢は国会で反対議員に糞尿を投げつけるというヤクザ出身の武闘派政治家らしいエピソードも残っている。彼が活躍した時代はロマン派侠客時代と韓国では呼ばれている。

ヤクザが国会議員になると言えば、日本で言えばあの人物を想像するであろう。バラエティー番組などで吼えまくっている元先生である。しかし、韓国ではスケールが違う。国会議員どころか大統領になった人物もいたとされる。韓国の前大統領・金大中(キム・デジュン)は、政治活動をする前は運送業となっているが、豊田という日本名を名乗り、組織暴力のボスであったと根強く噂されている。もしも、これが事実なら、ヤクザの組長が大統領になり、ノーベル平和賞を受賞したのである。彼が日本で何者かに拉致された金大中事件(1973年)はKCIA(韓国中央情報部)と日本の暴力団の関与説が定説となっている。これも韓国の歴史の暗部のひとつである。

金斗漢の引退後に勢力を分け合ったのが、ふたりの親分であった。明洞を縄張りとしたのが、シラソニと異名をとる李聖淳(イー・ソンスン) シラソニはもともと北の出身で、韓国では力の象徴である「虎」ヤクザがその「虎」ではおこがましいということで、シラソニと呼ばれた。「虎」には一歩及ばない「山猫」という意味である。

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シラソニ・李聖淳(イー・ソンスン)

東大門を占めていたのが、李丁載 (イー・ジョンジェ)  かつて韓国相撲(シルム)で全国優勝したこともある偉丈夫。一時は東大門警察署の刑事だったこともある人物である。時の李承晩大統領の庇護の下、政治ヤクザとして暗躍、政権維持と反対勢力の弾圧のために暴力を活用した男である。

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李丁載 (イー・ジョンジェ) 


そして、この頃に半島が戦火に再び巻き込まれる。朝鮮戦争であった。この戦争と半島の分断が韓国ヤクザを大きく変えてゆく。韓国と北朝鮮を分断する38度線、これは国境ではない。正式には停戦ラインなのである。停戦…、それは現在も半島は戦争状態にあるといえる事実を突きつけている。休戦後、経済が発展すると、利権を巡って二人が対立を深め、ついに激突することになった。それは従来の一対一の決闘という抗争の構図を覆す戦いであった。

1953年、朝鮮戦争休戦の年、ソウル・明洞。李丁載(イー・ジョンジェ)の部下たち約三十人は、シラソニを闇討ちした。掌拳の達人であるシラソニは無敵であった。まともに立ち向かっても撃破される恐れがあった為である。病院に担ぎ込まれたシラソニは重症であった。李丁載(イー・ジョンジェ)の部下たちは祝宴を上げていたが、そのうちに恐怖にとらわれていった。回復したシラソニの報復を考えると不安で居ても立ってもいられなくなり、病院へ乗り込み、シラソニを再度襲った。両手両足を折られたシラソニは身体障害者となった。シラソニが二度と返り咲くことはなかった。しかし、復讐を誓ったシラソニは、常に拳銃を身に付け手放さなかった。

この襲撃事件で李丁載(イー・ジョンジェ)がソウルを占めた。1958年に起きたヤクザ抗争事件の直後、政府はヤクザ掃討令を出し、警察を総動員してヤクザの一斉検挙に乗り出したが、検挙の対象は李丁載(イー・ジョンジェ)勢力以外のヤクザばかり…。シラソニの残党は次々に逮捕され壊滅した。その摘発の裏で糸を引いていたのが、李丁載(イー・ジョンジェ)と李承晩大統領…。

しかし、その李承晩が失脚することになる。1960年の四月革命。クーデターで李承晩大統領は亡命。翌年1961年の軍事クーデターで朴正熙が政権を握ると李丁載(イー・ジョンジェ)の命運も尽きた。朴正熙政権は人気取りと社会悪の一掃という名目で、暴力団撲滅運動を行った。李丁載(イー・ジョンジェ)は逮捕され、市内を引き回された。数ヵ月後、彼は絞首台の露と消えていった。その死は復讐の鬼であったシラソニにも衝撃を与え、シラソニはヤクザの世界から足を洗って信仰の道を選びキリスト教徒となった。

この時代に韓国国民を驚かせた女ヤクザが居た。「白薔薇」と呼ばれる女侠客である。彼女は「マムシ」と呼ばれる人物と結託してクーデターを図り、シラソニと李丁載(イー・ジョンジェ)のパワーバランスに割って入ろうとした。その結果、片腕を落とされて粛清された。


朴正熙政権の頃から韓国ヤクザは日本の影響を再び受けることとなる。それは日本の韓国出身のヤクザによってもたらされた。山口組・殺しの軍団と恐れられていた柳川次郎、東声会の町井久之らであった。今でも韓国ヤクザの精神性が日本のヤクザに近いのはこの影響である。


この時代に韓国ヤクザが日本から大量に輸入した武器があった。銃器は朝鮮戦争の廃棄品として逆に韓国から流れたはずであるが、彼らは日本のある武器(?)を欲しがった。

……刺身包丁である。

なぜであろうか?韓国には徴兵制があった。成人男子は満十八歳になると徴兵検査を受け、合格すると陸軍で二十六ヵ月、空軍で三十ヵ月の兵役を課された。学生であった場合に卒業まで最大二十七歳の兵役延長が認められている。日本では誰もが銃器を扱えるわけではなかったが、韓国では兵役を済ませると普通のサラリーマンでさえプロ並みに銃器を扱えた。そのため、拳銃の所持に厳しく、所持や使用には厳罰が下された。韓国ヤクザは日本刀の流れを汲む刺身包丁を重用したのである。…たまたま喧嘩したときに包丁があった。韓国の司法は彼らの金に弱かった。


韓国は紀元前から七世紀まで続いた高句麗・新羅・百済という地域対立が今でも続いているとされている。そのため、韓国ヤクザは地域性が高く、各組織が日本の縄張りと言える地域を守り対立構造にある。高麗王朝の始祖・王建(ワンゴン)が「全羅道出身者からは国政を担う人間を出すな」という定めた治国の基本理念は今でも影響を与えており、事実、歴代の大統領の殆んどは対立する慶尚道から生まれている。全羅道出身者は前述の金大中のみである。この対立はのちに1980年の光州事件を招く。韓国ヤクザ界も同様に、OB派、七星派、ヤンウニ派といった三大ファミリーがそれぞれの地域を縄張りとしている。しかし、最近では全国派とよばれる広域組織となりつつあるのも事実である。

1972年11月21日、金斗漢(キムトハン)が死んだ。享年54歳。死因は高血圧による脳内出血。しかし、病院の死亡診断記録に不可解な点があり、検死も行われなかった。他殺であるという説も有力である。こうして韓国ヤクザの古き良き時代は終わった。


1975年、ソウル明洞のサボイホテルで朴正熙軍事政権の力をバックにした陸軍軍人出身のヤクザ・申三佐(シン・サンヒョン)をのちの三大ファミリーが襲った。その仁義無用の抗争は韓国ヤクザ史上、最も凄惨な抗争であったとされる。その際に日本の刺身包丁は申三佐の両足のアキレス腱を切り裂いた。その主犯格が後にヤンウニ派の親分に君臨するチョ・ヤンウン、これが韓国闇社会を震撼させたサボイホテル事件である。


絶対権力者・朴正熙大統領も1979年に暗殺された。その後、政権が変わるたびに大々的なヤクザ摘発が行われた。申三佐襲撃事件で共闘したヤンウニ派の親分・洋銀 (チョ・ヤンウン)、ポムソバン(西片)派の親分金泰村(キム・テチョン。金泰川とも)と次々と逮捕・投獄されていった。 

この際の獄中での彼らの話し合いが三大ファミリーの棲み分けを生んだとされている。



これら一連の詳細が「本人」の口から語られる…という恐ろしいドキュメンタリーが存在します!
(資料・取材協力をさせていただきました)

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実録ドキュメント893 韓国暗黒街元ボス 金泰川

  

現在の韓国ヤクザの状況は、組織数約300団体、構成員数約7,000人と言われる。それらは地域的な組織も小規模なものであったが、次第に広域化・大組織化の動きがみられる。
又、彼らは香港や中国の三合会、日本の暴力団、ロシアのマフィアなどと提携し、海外に進出するとともに人的な交流も図られている。

韓国国家情報院が国会情報委員会に報告した「国際犯罪の実態」によると、構成員が100万人と推定される中国組織犯罪の三合会は韓国国内での麻薬密売と密入国をあっせんしているほか、香港の三合会は偽造のクレジットカードを持ち込み、国内で高級商品を買うなどの方法で詐欺行為を行っている。日本の暴力団が組員である在日韓国人の名義で国内の某有名ホテルを買収。指定団体の8つの組職が国内犯罪組職である釜山(プサン)の七星派などと結託し、金融や不動産市場への進出を図っている。ロシアのマフィアのヤクト派など20の組職が国内に水産業関連業者を設立し、水産物取引に介入していると国家情報院は発表している。国内の犯罪組織に他国の組織が絡んでいることを殊更に強調するという韓国らしい発表かもしれない。

しかしながら、国外では、モンゴルではヤクザといえば韓国人…といわれるくらいに問題視されているのも事実である。


韓国ヤクザには盃はない。組織の成り立ちや歴史、また、日本の任侠道のような掟ともいえるものも存在しない。「カンペ」だと仲間を集めて名乗れば、それが組織暴力(暴力団)となる。「オレンジ族」という学生ヤクザがいた。彼らは高級外車を乗り回すような裕福な資産家の子女を襲い次々と惨殺した。その際に、仲間の結束を固め、秘密を共有する為に被害者の生肉を喰らっていた。驚愕の事実は誘拐された資産家の娘の裁判証言で明らかになった。その犯罪の凶悪さと模倣犯を恐れた韓国政府は彼らを即日死刑に処した。

このように地域や学校、軍隊…それらで生まれた先輩後輩など、アウトローの人間関係が、そのまま組織暴力の力関係となって維持されている。しかしながら、日本のヤクザ以上に、ボスの命令は絶対という擬制的な血縁関係が形成されており、その凶暴性は一般社会に恐怖を与えている。

オリンピックで北と南が統一旗を掲げて入場したシーンは記憶に新しい。民族の統一により、北から新たなカンペが来るのでは?…と国家情報院は危惧している。……が、


そうなると狙われるのは間違いなく……日本である。



(C)SHINSHUN


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こういうのを見つけた。・・・何か嬉しい。
ブログ主さま、ありがとう!
  ↓
【2】恐るべき闇の噂
http://www.ai-trip.com/users/ai07/kaien.0472p.html

組織暴力(韓国ヤクザ)は日韓併合で生まれた!
http://anarchist.seesaa.net/article/16323931.html#more

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この原作協力をしていただいたH氏が再び来日。
近々「知られざる韓国ヤンキー事情」を書きます。
・・・あなたは韓国広域学生犯罪者集団「一陣会」の真実を知っていますか?

知られざる韓国ヤンキー事情
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◆意外に身近にある麻薬 詳しい数字はわからないが、日本にも相当量の麻薬が入り込んでいるのは間違いない。覚醒剤やLSD、コカイン、大麻。その種類はいろいろあるが、いずれも裏社会の資金源になっていると思われる。この引用記事によるアフガニスタンのみならず...
2006/04/30(日) 19:38:21) | 武内晃一ブログ -歌舞伎町午前零時-
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