裏の裏は、表…に出せない!
実話誌等で暴走する裏系&馬鹿系ライターが、日本最大の歓楽街・歌舞伎町から発信するグダグダな非日常的体験と裏話。そして禁断の取材メモ!
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
今年もワイワイと囲みました。 加納貢を偲ぶ会
少し、早いのだが、毎年行われる「偲ぶ会」が、
本日、都内某所で行われた。

この会は決して大袈裟な儀式や堅苦しい式典ではない。
加納貢に憧れ、愛した侠たちや関係者が集まり、
酒を飲み、食事をし、想い出を語り合う会である。

加納貢と行動を共にした者、
加納貢の背中を追い続けた者、
加納貢の伝説に憧れた者…。
任侠人、堅気の旦那衆、映像・出版関係者…、
加納貢とさまざまな縁を持った者たちが、
身分や職業に囚われることなく集う会でもある。

”自由に集う”
その精神こそが加納貢が愛した
“愚連隊道”であったからに他ならない。

kanoumitsugu001.jpg

(加納貢先生の遺影とその生き様を描いた映画・新宿の顔(ジュクのツラ)新宿愚連隊物語)
同作品原作者の山平重樹先生が献杯の発声を…。




ジュクの帝王と呼ばれた加納貢が死去したのは、
平成16年(2004年)9月28日の朝、
常宿にしていた新宿の高級ホテルの一室、
まさに眠るような死であった。

今も伝説として語り継がれる孤高の愚連隊・加納貢、
既存の暴力社会に染まることなく、
最後まで自らの生き様を貫き通した孤高の侠…。


戦後の新宿は混沌の街でもあった。
ヤミ市、群雄割拠する暴力社会、
その中で鮮烈な登場を果たしたのが
愚連隊と呼ばれる侠たちであった。

加納貢はそうした侠たちのカリスマ的な存在であった。
加納は、不良米兵、愚連隊、ヤクザ…、
相手が誰であろうとステゴロで挑んだ。

同時期に活躍した盟友である
安藤組(正式には東興業)組長・安藤昇がカミソリと称されるなら、
加納貢はまさにハンマー、剛剣でもあった。
自らは喧嘩を売ることはないが、
売られた喧嘩は間違いなく買った。
買えば必ず相手を一撃で沈める。

安藤昇が戦後の若者の飢餓と抑圧に反抗した「餓狼」であるのならば、
加納貢のダンディズムと飄々とした風のような生き様は「象」に例えられた。

加納貢は若き愚連隊だけでなく、
不良少年たちにとっても憧れの存在であったのだ。

戦後の仇花と言われた愚連隊、アマチュアであった愚連隊が、
日本の復興・高度成長とともに、いつしかセミプロになり、
やがてはヤクザ社会へと取り込まれて融合していった。
愚連隊の多くは暴力のプロへと進化していったのだ。

しかし、加納貢は自らの生き様を変えることはなかった。
多くの組織や新興勢力、のちに名を馳せることになる侠たちの誰もが加納貢を求めた。
時を同じくした愚連隊世代が大組織の長となり、幹部となり、
暴力社会が裏社会だけでなく表の権力にも影響を及ぼす存在になっても、
加納貢は加納貢であり続けた。

その染まらない姿こそが加納貢であった。
新宿の街を愛し、自らが愛する人たちと共に街を眺め続け、
風のように生き、風のように駆け抜けていった。

我々の心に爽やかなる薫風を残し…。


……永遠に語り継いでゆきたい。



(C)SHINSHUN



歌舞伎町コミューン

スポンサーサイト
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。