裏の裏は、表…に出せない!
実話誌等で暴走する裏系&馬鹿系ライターが、日本最大の歓楽街・歌舞伎町から発信するグダグダな非日常的体験と裏話。そして禁断の取材メモ!
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ある親分の…死。 追悼。
一本の電話が私を呆然とさせた。
ある親分の死を知らせる電話だった。




『一時間だけや』
親分はそう言った。


私はとある地方都市に向かっていた。
実話マッドマックスで始まる新連載の取材だ。

『村上和彦の任侠塾 ~任侠百選~』

その連載は任侠劇画家・村上和彦をインタビューホスト、
つまりはフロントマンに据え、
激しい世界で生き抜く侠たちの生き様、
彼らが任侠渡世の分岐点で、何を考え、
何を想い、どう決断したのか?
それはどのような『その後』をもたらせたのか?
関係者やご本人の言葉に交え、
任侠社会を描き続けてきた村上和彦というフィルターを通して、
その生き様の真意を読者に伝えたい。
そういう連載だ。


その第一回に取り上げる人物は密かに決めていた。
この人物を取り上げたい。
そのためには、親分に取材の協力をして頂くしかなかった。
…同時に、その親分にも様々なことを訊ねてみたい。
全国の任侠フリークが知りたがっている答を…。
それも密かな本音、…いや、
それこそが、真のテーマだったのかも知れない。




『ワシのことはええから、兄貴がどう生きたのかを徹底的に書いてくれ』
前日、親分は電話の向こうでそう言った。
氏は第一回の取材人物の実弟だった。


地方都市に降り立った我々は、親分の誕生会に招かれた。
その街で最高級の会員制クラブのVIPルーム。
ヤクザの誕生会にしては、何だか様子が変だ。
…その理由はすぐに判明した。
その宴を主宰していたのは、いわゆるカタギの旦那衆だったのだ。
組関係者は部屋の隅に見守るようにいただけだ。
誕生日という名の示威行為(?)や義理掛け(?)ばかりを見ている私は驚いた。
純粋に親分が大好きだというカタギの旦那衆たちが誕生日を祝っていたのだ。
それが親分の人柄だった。

そんな様子に感じ入った私は、
撮影係を自ら受け持つようにカメラを取り出した。
『撮らんでもええ! 写真は明日、いくらでも撮らしたる。…ええから、飲め』
突然に親分はそう言った。

私は迫力にビビってしまい、無言でカメラをカバンにしまった。
ところが、カメラを見た旦那衆たちが、親分との記念撮影をしてくれと言う。
すると意外なことに親分は(済まんな)という表情を見せ、
『じゃ、お願いできるか?』と言った。

実は、…親分の『撮らんでもええ!』は、
遠方から来た我々に、楽しめ…という
不器用な気遣いの言葉だったのだ。
同時に、ここにいるのはカタギの旦那衆だから、
彼らのために遠慮してくれという配慮だったのだ。

この瞬間から撮影はフリーになった。
おそらく、この親分のこんなシーンを撮影した人間はいないはずだ。


誕生会が終わると親分は心地良さそうに、車に乗り込み、
『明日、宜しくな』と言ってくれた。
若い衆がホテルへ我々を送り届けてくれた。

部屋に戻ると、私はそのままベッドに崩れ落ちた。
……緊張していたのだ。

ところが、携帯電話が鳴る。
『寝てなければ、親分がもう一軒付き合ってくれないかと言っておりますが』
迎えの車に乗り込み、出かけた先は、親分がプライベートで使う店のようだった。
これも我々への気遣いだったのだ。
その証拠に、いつしか、私は旧知の地元の親分と呑んでいるかのような錯覚に陥った。

最後に親分は一曲唄った。
ご機嫌なときに必ず唄う唯一の曲らしい。
ホテルへ帰る車の中で、
嬉しそうに若い衆が教えてくれた。

以前のブログ記事は
→ その記事『鑑定法』
実は親分のことだったのだ。
この唄で親分の魅力に憑りつかれた。


翌日、事務所で取材。
『一時間だけや』
冒頭の言葉を親分は言った。

遠慮しながらも、矢継ぎ早に質問する私、
おそらく、他の記者ならば、遠慮して聞けないことばかりだったであろう。
その時の私は全国の任侠フリークの代表質問者だった。
幾つかの質問のあと、
親分は突然に話を中断して沈黙した。


しばらく我々の顔を静かに見つめながら、
再び親分は口を開いた。

『アンタらがどんな記事を書くかは分からんが、ワシは全部話したる。
使うかどうかはアンタらで判断したらええ』

そう言って親分は私の顔を再び、ジッと見た。
『ワシが死んだら、本にせぇ』
(今、思えば……、)


親分は再び話し始めた。
一時間の約束が四時間、
おそらく、親分が墓の中に持って行こうとしたことが語られているだろう。
私は話を伺いながら、この話は…と取捨選択に追われた。
…取材の様子は承諾のもと、動画撮影をしていた。


話の途中、窓からスズメバチが飛び込んできた。
親分は殺虫剤を持ち、我々とハチを追い回した。
『かなわんなぁ』
そう言って、親分は子供のように笑った。
(いい思い出となりました。これは一生忘れないでしょう)


『好きな写真を持って行け』
そう言って、アルバムを広げて、一枚一枚の思い出話を始める。
世に出ていない写真ばかりだ。
私が選んだ写真を見て、親分はその目ざとさにニヤリ。

『そうや、これも使うたらええ』
親分がお兄さんの仏壇の中から取り出したのは書状であった。
その仏壇や遺影でさえ初公開だと言うのに・・・。

兄が、組織の当代になった際に、その継承盃の現場で
歴々の侠客や最高幹部たちの前で読み上げ誓った書状である。
世代交代が進んだ現在の最高幹部でさえ、耳にしていない、目にしていないものだろう。
恐ろしいことに、数ヶ月の間、その書状は私の手元にあったのだ。
(実は暴露しますが、風体の怪しい私は、歌舞伎町では一度も受けたことの無い職質を、家の近くで受け、カバンの中に書状。しかもラップとレンジ用ポリ袋で厳重保護。…これは何だね?開けなさい!…説明するとその警官は見事に固まっておりました。アンタ?何者?)



その後、兄は任侠社会最大の分裂抗争で凶弾に倒れた。
親分はある選択をした、自らの任侠道に逆らうことなく。
前にも進めない、後ろにも下がれない…。
損と徳で言えば、確実に損な選択だったかもしれない。
親分は、そんなことは、微塵も考えなかっただろう。
…そして、今、どう思うのか? 全てが我々の謎だったのだ。
全て語っていただいた。それが密かに私の中での取材のテーマだった。
私は、この生き様を、最初に取り上げたかったのだ。
『ワシはこんな生き方しかできん』
それは、かつての兄の言葉と同じだった。
誰もが知りたかったその答えは……、想像通りだった。


取材後、親分は緊急入院をされて手術をした。
何度も入退院を繰り返した。
何度も何度もテープを聞き返した私は記事を完成させ、
若い衆を通じて確認をしてもらった。
親分の答えは
『どう作ろうとアンタの自由や、ワシが話したことやけぇな』

(…らしいなと、生意気にも思った)


話を終えた親分はテープの中でこう言っていた。
『それが真実や!』
凄まじい迫力の言葉だった。

そのテープは宝物となるであろう。
無理やりにお願いしたツーショット写真も。

親分が墓の中に持っていったことは、
時期が来るまでは、私は封印しようと思う。
それが、あの取材だった。
その任侠人生の岐路となった時以来、
メディアに語ることのなかった親分にとって、
あれが最後の取材となった。

その後の、確認連絡等で、何度も話をし、
親しく付き合わせてもらっている組関係者も出来た。
今では、電話で馬鹿話も出来る仲となった。
いきなり誕生会に乱入した怪しげな取材陣、
それなのに、笑顔で迎え、もてなしてくれたカタギの旦那衆。
……感謝の文面とともに撮影した写真を送った。
たった数枚の写真なのに、ある旦那さんは
丁寧な礼状と共に特産物の高級フルーツを送ってくれた。
親分は、そういう人たちに慕われていたのだ。



突然の電話は悲しい事実を教えてくれた。

私は、猛烈な虚無に襲われている。
そして、今、あの時の取材テープを聞き返している。

ヘッドフォンの向こうで、
親分は生きている。
……生き続けている。
あの時のままに吠えている。


ありがとうございました。





極道が守らねばならない大義…、
それは絶対に譲れない侠としてのプライド。
故に彼らは“道を極める”…『極道』と呼ばれる。
それを絶対に曲げることも無く、
どのような逆風や激浪が襲えども、
決して揺らぐことすら無かった。

……そういう兄と弟だった。

兄の死後、極道史上最大の抗争で、憤怒の炎を燃やした崇高なる武侠…、
…そして、貫き通した“我慢”と“選択”

そういう意味では、弟は兄以上だったのかも、知れない。



兄の名は、四代目山口組組長・竹中正久、
弟の名は、竹中組組長・竹中武…、 元四代目山口組若頭補佐。







竹中武親分のご冥福をお祈りいたします。



(C) SHINSHUN


その記事は、業界事情を知る関係者や
出版社を驚かす記事となった。
ある業界人が編集部に電話してきたそうだ。
『あの記事で言いたいことがある』
編集部員は思わず身構えた。
電話の向こうで、侠は言った。
『どうしたら、あんな取材が出来るんだ。頑張ってくれと伝えてくれ』
私は伝え聞いたその言葉に素直に感激した。

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村上和彦の任侠塾 ~任侠百選~ 
第一回・四代目山口組組長・竹中正久 前編
□実話マッドマックス07年11月号□


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(C) コアマガジン/村上劇画プロ /塚原晃 / 神峻 



村上和彦の任侠塾 ~任侠百選~ 
第二回・四代目山口組組長・竹中正久 後編
□実話マッドマックス07年12月号□


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(C) コアマガジン/村上劇画プロ /塚原晃 / 神峻 





追記: ==============================

…本当に、へこんでます。

実は私が参っているのは、ほぼ同時に、
もう一人の侠の死を知らせる電話が入ったからである。
突然の病気だった。
私がかつて連載していた『歌舞伎町の侠』というグラビアコラムに、
登場していただいた若き組長である。
……それもショックだった。


……今は、この上記のブログ記事を書くだけで精一杯です。
落ち着いたら、必ず思い出話を書かせてもらいます。
福ちゃん…、ごめんなさい!…早過ぎるよ。


福田一秀組長のご冥福をお祈りいたします。


…今は、これだけ言うのが精一杯です。


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まだ、どちらの訃報もそんなに流れていない様子です、
それを見咎められる方もおられるやも知れませんが、
私は書かずにはいられませんでした。
ご理解下さい。






(C) SHINSHUN


4/1 本日…、岡山へ入り、武親分の御霊前に手を合わせ、線香を上げさせていただきました。
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