裏の裏は、表…に出せない!
実話誌等で暴走する裏系&馬鹿系ライターが、日本最大の歓楽街・歌舞伎町から発信するグダグダな非日常的体験と裏話。そして禁断の取材メモ!
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歌舞伎町と最新機器の歴史
この20年の通信関連機器の発達は素晴らしいものがある。もしもタイムマシンがあったとして、20年前の人間に携帯電話を渡したら、どのような反応をするだろうか? 

黙って渡せば間違いなくトランシーバーだろう。電話機のように耳に当てて使用しないだろう。

口元に当てて「応答せよ!応答せよ!」だの、会話の最後に「…どうぞ」とか言うかもしれない。…言うだろうな。

バブル時代の最先端通信機器は、凄まじく技術進歩し、新機能を備えた新商品が次々と登場してきた。これらの最新グッズも最初に取り入れて最大限に活用するのは、世の中の中心にいるエリート層と、世の中の一番はずれた場所にいる歌舞伎町のアングラ世界の住人たちだ。

今回は歌舞伎町と最新機器の歴史を学びたい。


 留守番電話、転送電話、ポケットベル、自動車電話、携帯電話、伝言ダイアル、Q2、インターネット、電子メール、携帯メール…。彼らはすぐさま取り入れ、有効的に「シノギ」に活用する方法を考えては、自分たちのアングラビジネスに取り入れた。

 留守番電話や転送電話などは、ノミ屋などの非合法博打関係やデリバリー系売春がすぐさま取り入れた。留守番電話がノミ行為の、重要な証拠となるメモをなくした。また、賭けた、賭けないという客とのトラブルをも無くした。

転送電話は所在地ごまかしの摘発のがれに利用された。

ポケットベルは登場してすぐに、ヤクザ関係が若い衆を緊急招集したり、街を流すストリートガールに指示を与えるのに使用された。

この街の正業である水商売関係でも、歌舞伎町の誇る日本最大のキャバレーはあまりにも店舗が広すぎるために、ホステスに店内用のポケベルを持たせた。ポケベルを使って指名テーブルを知らせているのだ。

このキャバレーでは、現在でもこの方法を採用していて、事情を知らない客はホステスが全員ポケベルを持っているのを見て、「なんで?今時ポケベル?」と思ってしまうことだろう。しかし当時は革新的なアイディアだと感じたものだ。

日本人に外国人、ギャルからババアまで…という客のニーズの全てを取りそろえた感のあるホステス在籍ウン百人というこの店で、いちいちボーイさんがホステスに声を掛けたりしていたら大変だ。目的のホステスが「ドーム」といった方が適切な表現であるかに思える広大な店内の何処にいるのかを探し出すだけでも一苦労のはずだ。

「ミユキさん、何番テーブルご指名です」よくあるこの店内放送を、スピーカーで店内の全てに届かせようとすれば、大音量で落ち着いて飲んでいられないはずだ。放送回数もひっきりなしだろう…。

ポケベルの存在すら忘れかけていた最近だが、ある夜に仲間と無届けの深夜サパークラブで飲んでいた時の事だ。オレの席についた初顔のホステスが色白の柔らかそうな巨乳の谷間にポケベルを挟んでいる。オレは少々酩酊気味のそのホステスにズバリ言った。
「お前の早い時間(店)を当ててやろうか?」

歌舞伎町では、ひと夜に2店舗を掛け持ちするホステスたちがいる。いわば正業である12時までを早い時間(店)と呼び、その店がハネた後に「アフター」と称して酔客同伴でなだれ込むのが、副業の深夜営業のお店(大抵4時くらいまで)であり、このサパークラブのことを「深夜」と呼ぶ。ここでアルバイトするホステスも多い。

「絶対に当たらないよ~っ!へへへ。」
その娘は色白の巨乳を突き上げて、自信満々でオレに言った。彼女の自信の理由はこういうことだ。深夜サパーは高級クラブの黒服達が、自分の抱えているホステスを使って小遣い稼ぎをしている場合が多い。

12時に営業を終了する近隣の小箱の店と契約し、閉店後に又借りして「二部営業」しているのだ。家賃は「早い時間」の半分が相場。電気代、水道代、備品や消耗品などの使用料もコミコミの場合が多い。

したがって、彼ら黒服の在籍する高級クラブに勤務している担当のヘルプホステスたちがアルバイトしている場合が多い。当然、客もその様な高級クラブからの流れが多かった。

クラブホステスは、売上やクラス(格)によって出勤時間がまちまちだ。売上のいい者は「優待出勤」といって、規定の出勤時間より30分から1時間遅めの出勤が認められている。当然、一般的な出勤時間からの給与計算になる。勤務時間的な昇給だといえよう。

ヘルプホステスは、規定通りの7時30分から8時の出勤だ。お客を連れて店に入る「同伴出勤」に限っては、全員に8時30分の「優待出勤」が認められた。この場合も規定時間に出勤したことになり、その分の給与は計上されることになる。

このクラブホステスの出勤時間規定に対して、大型キャバレーでは出勤時間が早い。大箱キャバレーの中には閉店時間も早い店もあり、銀座の高級クラブのように11時30分から45分に閉店する店もある。キャバクラもキャバレーの流れを受けているので、出勤時間規定はどちらかというとクラブよりキャバレーに近い。ただ深夜の時間帯まで営業している店が多いのだが…。

深夜サパーは彼ら黒服たちが店を12時に終え、後片付けを済ませてからの開店と言う事になる。キャバレーのホステス達は1時間以上も時間を潰さねばならなくなる。バブルの頃ならいざ知らず、深夜の同伴客も焼肉屋や寿司屋で食事をご馳走したりせねばならなくなる。

黒服という人脈的なモノ以外にも、この時間的な関係で、深夜サパーでは大型キャバレー勤務のホステスも利用客も比較的少なかった。それが「絶対に当たらない」と笑った彼女の自信だったのだろう。

「じゃあ、当てよう…。クラブハイツ!」
「…!、どうして判ったの?え?来たことある?」

驚いて息を吸い込むと彼女の胸元がより強調された。オレはわざとらしくその胸元に顔を近づけて言った。

「ポケベル…。いまどきポケベル持っているホステスはハイツくらいだろ。」
「ああ~~っ!」

聞けばタイムカードを押し、フロントでポケベルを受け取ってから、仕事を開始するのだという。仕事が終われば返還する。その娘はお酒が入りすぎて、つい返還し忘れたのだという。

慌ててポケベルを巨乳の谷間から抜き取ると、エロ親父から挟んでもらったのだろうか?万札や千円札が数枚こぼれ落ちた。

「クラブハイツ」のホステスは通常は裏の従業員用のエレベーターを使って出勤するが、同伴出勤の時だけはお客用の直行エレベーターが使用できるという…。ホステスにとってはちょっとした栄誉だ。

話の流れでその栄誉をさっそく分かち合うことになってしまった。同伴出勤の約束をさせられてしまった。

クラブハイツはコマ劇場横の東宝会館の最上階にある。3台のエレベーターの一番奥にあるクラブハイツお客専用エレベーターには、名物おじさんともいえるTさんというポーターさんがいる。

オレは明日はたぶん巨乳と腕を組みながら、同伴出勤するのだろう。ホテルのドアボーイのような、ウグイス色の帽子と制服にエンジ色の鮮やかなネクタイを身に付けたエレベーターボーイとは呼べない年齢の古株名物おじさんであるTさんの「どもども、いらっしゃいませ…」という名口調を、店のある8階まで箱が昇っているあいだじゅう聞くことになる。

そして明日は土曜日だ。彼は必ずオレにこう言う・・・。
「今日は土曜日、お楽しみのビ~ンゴ大会の日でございますヨ。」

この「クラブハイツ」は最後のグランドキャバレーとして歌舞伎町世界遺産とも呼べる名所だ。この店にはバンド演奏とダンススペースがあり、社交ダンス大会全国2位の齢(よわい)ウン十歳というホステス様が指名をすればダンスのお相手をしてくださる。わざわざダンス用のエナメルマイシューズを持って日参する熱心な彼女のファンもいるほどだ。料金もリーズナブルだから一度お訪ねあれ。昔の日活映画で観たようなシーンと古き良き時代がそこにはあります。今は無きポケベルも見られて新鮮。

歌舞伎町でポケベルを持っているのは営業マンとヤクザ者。そんな時代があった。

歌舞伎町のフロントロビーのような役割の大型喫茶「パリジェンヌ」では、店内のどこかでポケベルが鳴ると、ヤクザ者が一斉に自分の右腰のベルトあたりを慌ててまさぐる。・・・そんな光景がしばしば見られた。そういえば、クロコやルイ・ヴィトンのポケベルケース・・・あれはいったい何だったんだろうか?

自動車電話、携帯電話も、アングラ社会では出始めの頃は、ただ単にステータスでしかなかった。ところが、実用的な小道具としてすぐさま認知された。

かつての歌舞伎町の地場産業であった「ぼったくり」では、店外にシキテンと呼ばれる見張りと、アトヅケと呼ばれる事後処理係がいた。ともに摘発やトラブルを避けるためのものだ。携帯電話が適当に小型化した時点で、トランシーバーから切り替えた。

しかし、しばらくは歌舞伎町の電波状況は最悪だった。

歌舞伎町という街のビルの建蔽率が原因だ。下から上まで見上げるネオンを思い浮かべて欲しい。狭い路地や2車線しかない通りに、高々と派手なビルが建っている。しかも「夜」の方が「昼」より明るく感じる。このビルとネオンは「不夜城」でもあり「迷宮」でもある歌舞伎町の大事な顔だ。ゆったりとした建築事情の国から来た外国人は、街の作りにネオンサインの多さが加味されて、映画「ブレードランナー」のようなゴミゴミした猥雑な近未来都市に見えるようだ。

実際にあの映画のリドリー・スコット監督は歌舞伎町をモデルとし、松田優作の遺作となった「ブラックレイン」でも、この街での撮影を希望していたと聞く。

そのため歌舞伎町のエンピツ雑居ビルの谷間では、初期の携帯電話だと電波状態が悪くて会話ができない。メインストリートの風林会館前の交差点でさえ、圏外であったのだから、初期型の7キロのショルダ-タイプでは何の役にも立たなかった。

…だから、この頃の携帯電話なんて単なるステータス。24時間7キロを担がせた可哀相な若い衆を、自慢げに引き連れたヤクザの親分もいた。

目の前に公衆電話があっても、若い衆の抱えた黒いバッテリーケースから伸びた無骨な受話器で、「あ、もしもし、俺だ!」なんて周囲に大声を撒き散らして、悦に入っていたのだから大笑いだ。

あの頃のことを考えたら、きっと穴があったら入りたいはずだ。実はオレもそうだった。店から持たされたショルダーフォン。重かった。

ところが性能が良くなり、小型化され、中継点も増えて電波状況もよくなると、ツールとしての威力を発揮した。

ぼったくり業界でも、「シキテン」や「アトヅケ」だけでなく「付け馬」にも持たせた。パトロール警官の尾行、摘発情報などの緊急連絡にも最適だった。彼らは歌舞伎町交番の前に、携帯電話を持たせた監視役を、毎晩立たせていたのだ。

携帯電話の普及とともに、飛躍的に成長した歌舞伎町発のアイディア商売から、一大産業となった業種に、テレクラ(正式にはテレフォンクラブ)というものがあった。

最初はテレフォンセックスが目的だったが、いつしか、出会いを作り出すようになった。このシステムの発案チェーンは何店舗も店を構えて、歌舞伎町のそこらで「イ~チジカ~ン、八百円!八百円!」という甲高い女性の客寄せアナウンスが流していた。

エビ通りと西武新宿通りに店が残ってはいるが、このアナウンスは騒音等の規制で聴かれなくなった。昼の人気帯テレビ番組では、CM前に街の風景を映し出していたが、その画面の中にもアナウンスは街のBGMとして流れていた。今となっては懐かしい。

このMという会社、ちょっと色々あるのだが、今はチィとヤバイ。それは別の機会で暴露っちゃいますけど…。

そのテレクラに、プロのポン引きや売春関係者が飛びついた。地場産業のぼったくり業界もしかり。ガールキャッチが有効活用していた。まぁ、ぼったくりの獲物の「養殖イケス」みたいなものだった。

ワンコールで餌食が簡単に入れ食い状態だからたまらない。「じゃ、ホテルに行く前に軽く一杯」で、ぼったくりバーに誘う・・・。

獲物は股間が充分に膨らんでいるもんだから、誘えばドコにでもついて来る。サッサと飲んで、早く目的地に行きたいのだ。

このために気軽に入れて、間違っても警戒されないであろう、蟻地獄のような「ぼったくり居酒屋」を、オレの友人、ボッタクリの帝王、かの影野臣直が出店した。恐ろしい事にメニューの刺身各種千円から・・・、これは一種類が千円だ。タコが、マグロが、イカが・・・あ、刺身のツマも千円でしめて一万五千円!時には調子に乗って一切れ千円って時もあった。

当時のことを思い出すのか?影野は酔うと叫ぶ。『テレクラありがとう!…ハウスありがとう!』

まったく反省の無い男である。


ところが、隆盛を極めたテレクラが「携帯電話」の進歩に追い詰められた。「メール機能」の登場だった。テレクラの副産物である出会い…その発展系の出会い系サイトのチャットや出会い系メールの新登場であっという間に廃れてしまった。

しかし、このテレクラ業界が大挙して出会い系に鞍替えしたのだから、彼らにとっては別に痛くも痒くもない。それどころか、店舗を構える必要もなくなり、電話と違ってメールのやり取りでは声を出すわけでもないので、サクラに女の娘を使わなくてもよくなり、彼らは大喜びの大歓迎だった。

ここでも、歌舞伎町の住人たちは、時代の流れを読み、敏感かつ、柔軟な頭脳で、小狡く、しぶとく立ち回ったという訳だ。

これらの進歩が数年後に振り込め詐欺や架空請求を生み出す。それはアッという間であった。

…やれやれ。

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